その昔、寄席の楽屋に一枚の紙が張ってあったそうだ。題は「噺家(はなしか)売れる秘訣(ひけつ)五カ条」。一九六〇年代か。内容は、一、素人口調であること、一、内容は支離滅裂にすべきこと、一、ちゃんとした噺をやらぬこと-等▼若手への助言か皮肉か。いずれにせよ、秘訣には若くして人気となった風変わりな二人の噺家が念頭にあったかもしれぬ。一人は林家三平さん、もう一人はおととい亡くなった三遊亭円歌さんである。八十五歳▼自分で異端児とおっしゃっていた。人気に火が付いたのは、「山のあな」の「授業中」や「浪曲社長」などの新作落語。当時の一部にはそれが素人口調に聞こえ、売れたい、人を笑わせたいだけの芸に見えていたかもしれぬ。それでもそのてらいのない、まっすぐな笑いこそが長きにわたって日本人のおなかをよじらせた。落語界の間口を広げた▼真偽の定かでない逸話で知られるが、これは本当であってほしい。若い時、芸に苦悩し、大阪へ逃げた▼一時帰った東京の電車の中で師匠の先代円歌とばったり出くわす。先代は怒らず「明日遊びにおいで」。その優しさに発奮し、落語の新たな可能性を模索するきっかけとなったそうだ▼黒門町(桂文楽)、稲荷町(林家彦六)…。住む町名で声の掛かる噺家も減った。もう「中沢家の人々」は聴けないのか。「麹町!」。「山のあなた」に声を張る。