2017年7月21日
モンゴルから来た身長一八〇センチ、体重八〇キロの少年に、どんな四股名(しこな)をつけるか。宮城野部屋の親方とマネジャーは「夢と希望はデッカイほうがいい。だから、スケールの大きな名にしよう」と決めた▼マネジャーが考えた名は、柏鵬(はくほう)。大鵬と柏戸。好敵手として「柏鵬時代」をつくった二人の横綱にちなむ四股名だったが、さすがに親方は異を唱えた。「悪くはないけど、あの子に『柏鵬』では、ちょっと荷が重いのではないかな」。そうして、「白鵬」となったという(『白鵬「山」を越える男』)▼親方の懸念はいい意味で裏切られたが、やはり四股名は柏鵬でなくてよかったのだろう。何しろ、圧倒的な強さで、一人で「白鵬時代」をつくった。柏鵬にしていたら、「柏鵬時代」とまぎらわしいことになっていたはずだ▼最多優勝などの記録を次々と塗り替え、きのうはついに、歴代一位と並ぶ通算千四十七勝。その中には、野球賭博で大相撲の土台が揺らぎ、テレビ中継も、賜杯授与もなかった七年前の名古屋場所を、ひとり横綱として支えた十五勝もある▼あのとき、まばらな観客席から飛んだ「相撲を守ってくれ」という掛け声に応え、全勝優勝して、涙した。そんな涙が染みた地での大記録達成だ▼横綱になる時、白鵬は「壁を越えて、今度は自分が壁になる」と語った。大相撲を守ってきた無双の「壁」である。