<KKKKK KKKKKKK KKKKK 三振の数だけ鬱(うつ)が薄れる>。野茂英雄投手が大リーグで奪三振十七の快投劇を演じた時、そんな短歌を詠んだのは、阿久悠さんだ▼Kは三振のこと。十年前の八月に七十歳で逝った作詞家がこの夏の甲子園を見ていたら、<HHHHH HHHHHHHHH HHHHH 安打の数だけ…>と、驚嘆のHを重ねたかもしれぬ▼広陵の中村奨成選手が放った安打(H)は大会最多タイの十九本。うち六本は本塁打で新記録。最多打点などの記録も塗り替え、決勝では敗れたが、鮮やかな残像を残すHの光である▼<人は誰も、心の中に多くの石を持っている>。中村選手が破るまで輝き続けた最多本塁打五本の記録を清原和博選手がつくった一九八五年の夏、決勝を見た阿久さんは、そんな一文をしたためた。たいがいは一つか二つ磨き上げるのがやっとで、その多くを光沢のないまま持ちつづける石▼<高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある>と阿久さんは書き、こう続けた。<今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。たとえ、敗者であってもだ>(『甲子園の詩』)▼敗れた選手が甲子園から持ち帰ったのは球場の土だけではなく、心の中で光る「石」なのだろう。