五年ほど前、ニューデリーで映画館に入った。インドの観客は熱く、にぎやかである。スクリーンに悪漢が登場すれば、罵声を上げ、正義の味方には声援の口笛を鳴らす▼かつての日本の映画館にもこんな雰囲気があったのをかすかに覚えている。高倉健さんがこんなことを書いている。健さんのお母さんはわが子の主演作品をよく見ていたそうだが、スクリーン上の息子が窮地になると声を出す。健さんに「逃げなさい」と教え、悪辣(あくらつ)な敵には「後ろから斬るとね。そんな卑怯(ひきょう)なことをして」と叱る▼ここ数カ月の政治の流れが一本の映画になるとしたら「後ろから斬るとね」の声はどうしたって上がるだろう。安倍首相が衆院を解散する意向を表明した▼加計学園の獣医学部新設をめぐって支持率を下げた首相が「深く反省している」と語ったのが六月。以降、発言も態度もおとなしくなったと思いきや、民進党の低迷を見て、隠し持ったる解散の刀を…である▼化かし合い、だまし合いの政治の世界に徳を説いてもはじまらないが、胸を張れる戦術ではあるまい▼されど、この映画、終演マークはまだ出ていない。それどころか、シナリオさえもまだ完成していないのである。決まっているのはクライマックスの撮影日は十月二十二日の投票日に行われること。加えてカギを握る主役を演じるのは有権者ということだけである。