夏の日。花柄のワンピースを着た女の子がお母さんと手をつないで歩いている。「僕」が追い抜こうとすると、女の子が大きな声で言った。「あのね私、お母さん大好きよ」-。「そしてお父さんもね」▼お母さんはちょっと恥ずかしかったのか小さな声で、でも、つないだ手を大きく振って答える。「ありがとう」。見ていた「僕」は入道雲を見上げて、故郷のお母さんにつぶやく。「ありがとう」「そしてお父さんもね」▼「地下鉄の駅へと急ぐ夏」。短い歌でその歌い手の代表曲ではないかもしれぬ。が、その人が紡ぎ続けてきたのは、そういう小さな日常と、その裏側にある人の心や「物語」であろう。遠藤賢司さんが亡くなった。七十歳。<頑張れよなんて言うんじゃないよ>(「不滅の男」)。そう叫んだ人のがんによる死が寂しい▼心の中の抑えきれぬ感情が歌とともに、ひょっとしたら歌さえ飛び越え、体の外へとあふれでてしまう。そういう歌い手だった▼人の悲しみ、やるせなさを深く理解し増幅させる装置が心の中にあり、それを声とギターでしぼりだす。声の震え、かすれる叫び。ぶっきらぼうでもそれが誰もが抱える痛みをなで、時にひっぱたいた。今の時代にこそ聴きたい声であった▼<そんな夜に負けるな友よ夢よ叫べ>(「夢よ叫べ」)。さらば、エンケン。でも、<どうしたんだよ、あの夢は>。