「赤い羽根」の共同募金運動が始まったのは、七十年前のきょう十一月二十五日のことだ。もっとも最初の年に募金した人に配られたのは、稲穂をデザインした金属製バッジ。「赤い羽根」が登場したのは翌年からだが、すったもんだのやりとりの末の導入だったという▼米国の募金で使われていたものを参考に「赤い羽根」が提案されたものの、「赤は派手すぎる」「紳士淑女が羽根など着けられるか」「吹けば飛ぶ羽根など縁起でもない」など異論が噴出した(中央共同募金会『みんな一緒に生きていく』)▼だから当時は普及のために、こういう文書までつくられたそうだ。<新生日本の国民の一人一人に、新しい社会観を植えつけてゆくには、この位の意外さが無ければ、効果はうすいものであろう>。あの羽根一つにも時代のきしむ音が刻まれているのだ▼そうして生まれた赤い羽根はこの季節の風物詩となった。最初の年に用意されたのは一千万本だったが、それが五千万本に。しかし最近は募金額は右肩下がりで、赤い羽根を着けて歩く人も少なくなった▼まど・みちおさんは、こんな詩を残している。<あかい はね/あかい はね/こないだ つけた/あかい はね/ぼくの むねの/あかい はね/ようふく きかえたら/ほっぺに さわった>▼そんな羽根のあたたかさは、今でもきっと消えていないはずだ。