博打(ばくち)の借金でどうにもならなくなった左官の長兵衛。見かねた娘のお久が吉原に身を沈め、五十両の金をこしらえる。長兵衛が金を受け取った帰り道。吾妻橋から隅田川に身を投げようとしている男がいる▼聞けば、お店の集金五十両をスリに取られたという。思いとどまるよう説得するが、どうしても聞き入れない。「仕方がねえ、ぢやア己(おれ)が此(こ)の金を遣(や)らう」▼三遊亭円朝作の人情噺(にんじょうばなし)「文七元結(ぶんしちもっとい)」。名作中の名作だろうが、長兵衛が金を渡す場面になると、己の不人情のせいか、どうも理解できない。いくら人命第一でもわが娘が身を売った五十両である▼この噺、伊藤博文に「江戸っ子の見本が出てくるのを」とせがまれ、三日でつくったという言い伝えがある。長州人に江戸っ子の気(き)っ風(ぷ)の良さを教えてやろうと円朝さんがちょっと大げさに描いたのかもしれぬ▼と思いきや、かつての江戸っ子の見本のような人が本当にいたのである。ところかわって米国はフィラデルフィア。車のガソリン切れで立ち往生した女性にホームレスの男性がなけなしの二十ドルでガソリンを買い与えた一件が話題になっている▼その暮らしを想像すれば、命のかかった虎の子の二十ドルだっただろう。恩返しにとこの女性がネットで男性への寄付を呼びかけたところ、約二週間で一万人以上から約三千九百万円が集まったそうだ。いいサゲである。