なぜ、憲法記念日は五月三日なのか。法制局長官として新憲法制定に尽力した入江俊郎氏が著書に、こんな述懐を残している▼新憲法の施行日が決められたのは、一九四六年十月の閣議。翌年の五月一日にとの案には、「メーデーだから具合が悪い」と異論が出た。五日という案もあったが、「男の節句だから男女平等の新憲法としてどうか」「端午の節句は武の祭りの意味であるので、戦争放棄の新憲法としてはどうか」と疑念が出た▼それで「中をとって三日はどうか、そうすると逆算して公布の日は十一月三日になるからちょうどいいではないか」と話がまとまったという。十一月三日は明治天皇の遺徳をしのぶ「明治節」だから「ちょうどいい」わけだ▼このたびの「節目の日」を決める議論でもさまざまな案があったようだが、固まってみればやはり「ちょうどいい」ということか▼天皇陛下の退位の日は四月三十日、皇太子さまの即位と改元の日は五月一日。四月二十九日が「昭和の日」だから昭和と平成、そして新元号が始まる日という節目が並ぶことになる▼かつて皇后さまは、天皇陛下の即位を祝して、こういう御歌(みうた)をうたわれた。<ともどもに平(たひ)らけき代を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ>。そういう平成の世も節目の日まで、あと五百十四日。あらためて、「平らけき代を」と思い念じたい年の暮れだ。