高校生の男の子が鏡の前で何やら顔に塗りたくっている。石こう、粘土。液体ゴム…。そんな場面を目撃したら、親としてはやや心配になるが、黙って立ち去った方がいい。それが栄冠の道へとつながっていないとも限らぬ▼昨日の米アカデミー賞。メーキャップ&ヘアスタイリング賞を受賞した辻一弘さん(48)。やや風変わりな高校生だったそうだ▼受賞作の「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」。似ても似つかぬ英俳優ゲイリー・オールドマンをチャーチルに変え、それでいて、繊細な演技を妨げぬメーク。見事である▼映画の世界に導いたのは同じ政治家でもチャーチルではなくリンカーン米大統領だったそうだ。どういうことか▼高校時代に特殊メークで俳優をリンカーンに変身させる写真を雑誌で見た。担当していたのは、「エクソシスト」などのメーキャップ・アーティストのディック・スミスさん。高校生は自分で試してみたメークの写真を郵送し、助言を求め、巨匠もこれに応えてくれた。道が拓(ひら)けていった▼人に恵まれた人である。スミスさんもそうだし、その手紙を手伝った高校の先生がいる。映画界に嫌気が差し、引退した辻さんをオールドマンは「君でなければ、チャーチルを演じない」と説得した。オスカーを手にした辻さんの笑顔。無論、喜びのメーキャップなど必要ない。