焼夷弾(しょういだん)は五十センチほどの六角形の筒で、落ちてくるときにはなぜかおしりの部分に火が付き、火の雨が降り注ぐように見えたという。五日亡くなった映画監督の高畑勲さん。九歳の時に岡山で体験した空襲を鮮明に記憶していた▼親とはぐれ、けがをした姉と逃げた。火の雨、空襲後に本当に降った黒い雨、焼け野原になった市街地と多くの遺体…。体験はそのまま代表作『火垂(ほた)るの墓』に生きる▼反戦への思いを強くしながら、晩年になるまで人前でこの経験を詳しく語ってない。<語るとして…将来の戦争を食い止める力になるのだろうか>(著書『君が戦争を欲しないならば』)。戦争に懐疑的だった人たちが、開戦後いっせいに体制に協力し、勝利を連呼するようになった事実に、そんな無力感を覚えていたからだった▼『火垂るの墓』も「反戦映画ではない」と言った。日本が再び戦争に向かうことに強い危機感を持っていた一方で、戦争を止める力にはならないと考えたからだ▼だが現実は異なる。映画でどれだけの人が戦争の悲惨さを知り、どれだけの親子が戦争について語り合ってきたか。反戦映画の枠を超える名作になった▼著書では<私たちは先立った人たちに見つめられているのだ、という…感覚をもつことが必要ではないか>とメッセージを残した。これからは作品の向こうからわれわれを見つめることになる。