作詞家の阿久悠さんが「歌謡曲」について、こんな定義を試みている。「流行歌とも演歌とも違うし、Jポップとも違う。ただし、流行歌とも思えるし、演歌とも考えられるし、Jポップ的なところもパーツとしては、見つけられる」。つまり「おそろしくフトコロの広い、大きな器」なのだと(『昭和と歌謡曲と日本人』)▼その定義でいえば、歌謡曲全盛の一九七〇年代にひときわ輝いた、その歌い手は歌謡曲それ自体を体現した存在だったといえるだろう。歌手の西城秀樹さんが亡くなった。六十三歳。情熱の人の早すぎる旅立ちが寂しい▼阿久さんの言葉を借りて西城さんの歌を考えれば、「アイドルとも思えるし、流行歌とも、ロックとも考えられる」となるのだろう▼加えて、独特な絶唱やときどきかすれる声は、日本人を泣かせる演歌の憂いや哀切までも含んでいた。大きな器であった▼情熱、感激、一途(いちず)。歌声から連想する言葉を並べれば、自然と高度成長期後半の日本人の熱っぽい顔が浮かんでくる。時代の空気が歌声にマッチしていた▼<君が望むなら生命(いのち)をあげてもいい>(「情熱の嵐」)。<若いうちはやりたいことなんでもできるのさ>(「YOUNG MAN」)。今の若い人が聞けば、皮肉な笑いを浮かべるかもしれぬ。熱を失った今の日本において、それらの歌詞は成立しにくいか。それも寂しい。