鬼になった女が、伊勢からやって来た。鎌倉時代末期に、そんなうわさ話で京の町が大騒動になったと『徒然草』に記されている▼およそ二十日間にわたって人々は<鬼見にとて出(い)でまどふ>という興奮状態だった。上流階級も下層の人も、この話題で持ちきりで、鬼が出たという話が流れると、道も通れないほどの混雑になって、ひどいけんかも起きたと吉田兼好は、つづっている▼<一条室町に鬼あり><昨日は西園寺に参りたり>などもっともらしい具体的な情報が飛び交ったとも記されていて興味深い▼偽の情報が真実を装って一気に広がる。今の世ならフェイクニュースか。人々の好奇心や願望、不安などを栄養源にして世の中に浸透する。人々が簡単に<出でまどふ>のは今も昔も変わらない▼違うのは、影響の大きさがけたはずれになったことだ。ロシアが偽情報で米大統領選に介入した疑惑をはじめ、一国の政治に関わるようになった。特に、公用語である英語の世界で深刻だ。欧州に法律による規制の動きもあるが、国境を簡単に越える偽情報を封じるのは難しい。人の性(さが)は簡単に変わらないことが、問題と思ったほうがいいだろう▼うわさが収まった京では、あれは、流行病の前兆だったと言う人も現れたとある。だまされたと分かっても、流言になお意味を探す。悲しい心の一面があることも心得ておきたい。