<母は舟の一族だろうか。/こころもち傾いているのは/どんな荷物を積みすぎているせいか>-。詩人吉野弘さんの「漢字喜遊曲」。なるほど、母と舟は親戚みたいに似ている▼この詩はよく似た漢字を集めている。<幸いの中の人知れぬ辛(つら)さ/そして時に/辛さを忘れてもいる幸い>。辛と幸。<舞という字は/無に似ている>。無と舞。母という字の傾き方でその苦労や子への愛情を思うが、なぜか、あの詩の中には「父」の字について、触れられていない▼「父の日」である。お疲れ気味の世の父親たちを慰めるのに、なにかないかとこじつければ、「釜」という字の中に「父」がいる▼「おまえさん、しっかりしておくれよ。釜のフタがあかないじゃないかさ」。仕事をなまけたがる亭主に向かって気の強いおかみさんがこんなせりふで叱り飛ばす場面が落語なんかにはよくある▼釜のフタをあけるとはもちろん、おまんまを食べられるようにする、暮らしを立てるの意。だとすれば、あの詩でいうと<釜のフタをあけるため金を大事に抱えた父がいる>となるか▼よく見れば、「母」が苦労で傾いているように「父」はこころもち踏ん張っているようである。育児や家事での母たちからの評判はまだまだかもしれぬが、父親も辛さの中の幸のために踏ん張るか。「父の日」に幸あらんことを。そしてまた明日からである。