「信長燃ゆ」などの直木賞作家、安部龍太郎さんは若い時、井伏鱒二さんの自宅に押し掛けたことがあるそうだ。作品を尊敬する大作家に直接読んでもらい「力量を見定めていただきたい」。そう考えた▼わが力量をと携えたのだから自信の作だったのだろうが、井伏先生は読了後も腕組みをしたまま厳しい顔で黙り込んでいる。「あの、どうでしょうか」とおそるおそる尋ねると先生は一言、「君は下手だね」▼自分とは大きく異なった他人の評価。ほろ苦い逸話が浮かんだのは夫婦の家事分担に関する最近の調査結果を読んだせいだろう。正社員で共働きの既婚男女に家事や子育ての分担割合を聞いたところ夫の回答は平均で「三割四分」。これに対し妻側の認識は「二割五分」にとどまったという▼野球でいえば、夫の方はスター選手級の打率を残しているつもりでも、妻の方はそこそこの選手としてしか認めていないということか。こうしたズレがいさかいにつながるのはよくある話で、夫の方はそれなりに活躍しているつもりでも「まだまだ足りぬ」と自覚し、さらに奮闘するしかあるまい▼妻の皆さんも「二割五分」に腹は立とうが、夫には怒るよりも、やる気を促す言葉の方が効果的かもしれぬ▼「君は下手だね」の一言にうなだれる安部さんに井伏さんはこう語ったそうだ。「しかし、最初はみんな下手だったんだ」