作家のねじめ正一さんがテレビの思い出を書いている。幼い時、父親がなかなかテレビを買ってくれなかったそうだ▼しかたなく自分で作った。古い茶だんすを改造して、紙のチャンネルを張り、テレビだと思い込むようにした。話はこれで終わらぬ。つい学校で「テレビを買った」と言ってしまう。見せてとせがまれるが、当然、見せられない。「親戚が来ている」「家に来たとたん故障しちゃった」「テレビを見せると家の人に叱られる」…。苦しい言い訳の日々となってしまった▼「総領事館で口論となった」「殴り合いになり、相手は死んでしまった」。子どもでも口にするのをためらう不自然な言い訳としか聞こえぬ。サウジアラビア政府を批判してきた記者カショギさんの殺害疑惑である▼国際社会の批判を受け、サウジ政府は記者の死亡をやっと認めた。が、殺害ではなく、けんかの果ての死亡という筋書きは到底信じられまい。その説明では殺害を示しているとされる音声記録の説明がつかないし、そもそも遺体さえまだ見つかっていない▼記者拘束を指示したとうわさされたサウジの皇太子におとがめはなく、皇太子側近ら五人が更迭され、その責めを負っている▼真相解明は遠い。事実は隠され、権力者だけは守られる。これこそが「言論弾圧」の実態なのだと、その記者が今、大声で訴えている気がしてならぬ。