携帯電話のない時代の話である。作家の山口瞳さんが顔見知りだった出版社の女性社員が会社の外で公衆電話を使っているのを見かけた。後になって、母親が病気で日に何度も電話しなければならなかったと知る▼同じ会社の男性社員。いつもハイヤーで自宅に送ってくれるが、到着するとハイヤーを帰し自分は電車で帰っていく。二人の行為について山口さんは意見は分かれるだろうと書いている▼そうかもしれぬ。何本かの私用電話や帰りのハイヤーに便乗したところで問題なかろうと考える人もいるだろう。正当化する理由はいくらでも見つけられる。それでも公私の区別を付け、そうしなかった二人を山口さんは「信頼される社員」として挙げている▼「信用できぬ代表取締役会長」の話となる。逮捕された日産自動車のカルロス・ゴーン容疑者。子会社に対し、複数の高級住宅を海外に購入させ、それをただで使っていた容疑が新たに出てきた▼経費削減の「コストカッター」で鳴らしたが、自分にだけは甘いカッターだったとは。日産をV字回復させた人の地位と評判はA字で落ちていく▼ジャンボ宝くじが何本も当選したような巨額の給料にも満足できず、なお会社のお金に手を出したのか。<欲深き人の心と降る雪は積もるにつれて道を忘るる>。日本とは長い付き合いだが、この古い狂歌は覚えなかったとみえる。