「鬼平犯科帳」などの作家、池波正太郎さんは年が明けると年賀状の干支(えと)の絵を描いた。ずいぶんとのんびりした話に聞こえるか。勘違いしては困る。描いているのは来年の年賀状の下絵である▼毎年、数千枚の年賀状を出していたそうだが、この枚数では年末になってからでは間に合わない。春に刷り上がった年賀状を日に十枚ほどずつ書いていく▼「戦後の日本は、古きよき習慣や風俗も事もなげに捨て去ってきたけれども、年賀状の習慣だけは廃らないようだ」。そう書いていらっしゃるが、平成の終わりにあっては池波さんの見立てもあやしくなってきたかもしれぬ▼二〇一九年用の年賀はがきの当初発行枚数は約二十四億枚。結構な枚数とも思えるが、ピークだった〇四年用の約四十四億六千万枚に比べれば、半減近い。年賀はがきに冷たい風が吹く▼ネットの普及や人口減。理由はいくらでもある。そもそもペンで何かを書くという習慣も減り、いざ年賀状と思っても、わずらわしさが先に来るということもあるだろう▼池波さんのまねも無理で今年はどうするかと迷っていたが、コピーライターの岩崎俊一さんのこんな文章で気を取り直す。「年賀状をもらってうれしいのは、(出した人が)あなたの顔を思いうかべながら、年末の深夜、眠い目をこすり、知恵をしぼりながら、せっせとペンを走らせてくれたからだ」