初めて、試合に出場したのは五歳のときだった。結果は敗北だった。一回戦で男の子に負けた▼男の子が首からさげている金メダルを見て、負けた女の子は「あれがほしい」と言った。父親はこう教えた。「あれはがんばって強くなった人しかもらえない。スーパーでは売っていない」▼五歳の時の大会とはいえ、その競技人生は敗北からのスタートだった。ほしいと願ったスーパーでは決して買えぬ物を手に入れるための長い旅路。その旅が今終わろうとしている。レスリングの吉田沙保里さん。三十三年間のレスリング生活に区切りをつけると引退を表明した。「霊長類最強女子」のさよならは突然だった▼二〇〇四年のアテネ五輪から五輪三連覇。世界選手権は十三連覇。偉業を書き出せば切りがない。間違いなく史上最高、最強の選手である。その強さは震災や不況で時に沈んだ平成の世において希望の灯にもなった。平成とともに去るのか。寂しい▼一度で技を覚える天才ではなかったという。積み重ねた努力でつかんだ栄光。勝利の喜びの裏にはそれを上回る悔しさやつらさがあっただろう▼「マットでは絶対に泣くな」。そう父親に教えられてきたが、リオ五輪で敗れて号泣した。あの敗北から今度はどう立ち上がるのかを見たかったが、無理は言えぬ。きっと、あの負けと涙はこれからの別の旅で大きな花を咲かせる。