古今集にある春の歌である。<ことならば咲かずやはあらぬ桜花(さくらばな)見る我(われ)さへに静心(しづごころ)なし>紀貫之。散ってしまうなら、いっそ咲かなければいいのに、なまじ咲くから心が乱れるではないか▼花の盛りの美しさと散る寂しさは、いつの世も表裏一体であろう。遅咲きの鮮やかな大輪で、人を大いに楽しませ、その見事な咲き方ゆえに、散る切なさを多くの人の心にもたらした。そんな横綱ではなかったか。稀勢の里関が昨日、引退を表明した▼二年前の興奮が忘れられない。十九年ぶりの日本出身の横綱誕生である。正攻法の取り口もいちずさを感じさせる土俵への向き合い方も、待ち望んできた横綱の姿に思えた▼周囲が寄せる期待と自身の使命感の大きさは、おそらく短命に終わった理由の一つだろう。角界の顔に、けがをした体をじっくり回復させるだけの余裕はなかったはずだ。横綱にならなければ、長く相撲を取る道もあっただろう▼休場明けで、もがき苦しむ姿は、決して美しくはなかったが、切なくも懸命なところ。この人らしい散り際を思わせた▼天皇賜杯が忘れられないと話した。他の競技にも賜杯はあるが、優勝して「抱く」と言うのは大相撲の力士だけだろう。太い腕とたっぷりした胸、優しさがにじむ顔立ち。抱く姿がもっとも似合った力士ではないか。その強さ、切なくも奮闘した姿とともに忘れられない。

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