二年前に七十五歳で逝った詩人・長田弘さんに、「グレン・グールドの9分32秒」という詩がある。9分32秒とは、天才グールドがピアノで弾いた、ワーグナーの歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕前奏曲の録音時間だ▼<針がレコードに落ちるまでの、/ほんの一瞬の、途方もなく永い時間。/ワーグナーのおそろしく濃密なポリフォニーから/すばらしく楽しい対位法を抽(ひ)きだして、/響きあうピアノのことばにして、/グールドが遺(のこ)した/9分32秒の小さな永遠>▼時間とは「一人のわたしの時間をどれだけ充実させられるかということでしか測ることができないもの」と、詩人は説いた。だから、時間をはかる単位は時分秒ではなく「充実」なのだと(『幼年の色、人生の色』)▼そんな詩人が大切にしたのは、「時計の針で測る時間でなく、音楽で測る時間」。じっと聴き入り、時を忘れる濃密な時間である▼詩は続く。<芸術は完成を目的とするものではないと思う。/微塵(みじん)のように飛び散って、/きらめきのように/沈黙を充(み)たすものだと思う。/あらゆる時間は過ぎ去るけれども、/グールドの9分32秒は過ぎ去らない。/聴くたびに、いま初めて聴く曲のように聴く…/人生は、音楽の時間のようだと思う>▼時分秒ではなく、「充実」という単位ではかる時間を持ちたい。あすは、時の記念日。