当時、その映画俳優に割り当てられた役名を見ると「百姓の小倅(こせがれ)」とある。名前さえない役なのだが、リハーサルでは、監督からのOKの声がなかなか掛からない▼何十回ものやり直し。自分だけが苦労するのならまだ、たえられる。主演俳優を付き合わせ、エキストラ約五十人を待たせてのやり直しにこの若い俳優はひどく落ち込んだ▼うまくいかなかったリハーサル後に主演俳優が声を掛けてくれた。「おい、この映画の題名を知っているか」。「『用心棒』です」と答えると、「いや、よう(要)しんぼう(辛抱)だ」-▼俳優の夏木陽介さんが亡くなった。八十一歳。黒沢明監督の「用心棒」(一九六一年)に出演した若き日の思い出である。励ましたのは、桑畑三十郎役の三船敏郎さんである。夏木さんはあの言葉がどんなにうれしかったことかと語っていらっしゃった▼知的であか抜けた二枚目。ゴジラのファンなら生物学者役だった夏木さんの「化け物(ゴジラ)をつくり出したのは人間だ。人間のほうがよっぽど化け物だよ」(一九八四年版)の名ぜりふを思い出しているだろう▼<泥んこ苦行はなんのため勝って帰らにゃ男じゃない>。熱血教師役で大人気となった、主演ドラマの「青春とはなんだ」の挿入歌「貴様と俺」が懐かしい。「要辛抱」と泥んこ苦行で築き上げた、さっそうたる俳優人生に幕が下りた。