歌人の穂村弘さんが桜の花が咲きそうになると「変に焦る」と書いていらっしゃる。焦る理由は「いつ、桜を見たらいいのか分からない」▼どうせ見るのなら「最高の桜」を見たい。いつがいいだろう。迷っているうちにどんどん時間が過ぎてしまい、「その結果、ちゃんと桜を見ないうちに春が終わってしまう」▼分かる気がする。せっかく出かけていったのに満開を外れ、三分咲き、あるいは散り際だったとなると損をしたようでちょっと悔しい▼ことしの桜はとりわけ、「いつ」が難しかったか。あっという間、満開へと近づいていった気がする。各地とも、例年より開花の時期がかなり早かったようだ。しかも冬の寒さが厳しかったせいか、桜前線の訪れをまだまだと油断していたようなところがあったかもしれぬ▼<油断して花に成たる桜かな>。江戸中期の俳人、三浦樗良(ちょら)。こっちの油断は桜の方。つぼみのまま、ふんばっていたのだが、ちょっと気を抜いてしまったら、花が咲いてしまったという句だが、今年の桜にも、そんな印象がある▼さて、いつ桜を見るべきかでお悩みの方には穂村さんのよいアドバイスがある。「見に行けばいいのだ。いつでもいい。どこでもいい」。三分でも、散り際でも、それぞれの良さがある。見に行けば、その時が、最高の「今」なのだと。このあたり生きていくコツにも通じるか。