快晴の夏休みなのに、公園に人影はなく、セミの大声ばかり響く。遊具やベンチはさわれないほど熱い。週末でも都心は人通りが少なくて、今年の街の景色はいつもと違う。列島のどこかで暑さが猛威をふるう中、きょうは立秋。実感はないけれど、暦の上の秋の始まりだ▼暦と天候のずれが著しい時季ではある。今年はひとしおだろう。二十四節気を生んだ中国の気候と異なり、海に囲まれた海洋性のわが国の気象下では、時差が生じるのだという。太陽の光は盛時に比べて衰えているらしいが暑さはこの通りだ▼秋の初めの夜、侍が高位の貴族から、キリギリスだろうか機織虫(はたおりむし)を詠んだ歌を求められる。『十訓抄(じっきんしょう)』の説話だ。「青柳の」。春を思わせる季節外れの詠み出しに失笑が広がるが、貴族は最後まで聞くよう周囲をたしなめる▼<青柳の緑の糸を繰り返し夏へて秋ぞ機織は鳴く>。春にたぐった糸を秋に織る。最後まで聞いたところ、秋が見事にあった。歌は絶賛される▼公園でも、一日の終わりまで、耳を傾ければ小さいながら秋はある。セミの合唱が収まったころ、秋の虫たちはもう鳴いていた▼振り返れば、「セクハラ罪という罪はない」とか「生産性がない」とか。政治の世界から不快指数の増す多くの言葉があった夏だった。最後まで聞くかいのない弁明も多かった。虫の涼しげな合唱を思ってしまう立秋か。