<そらのみなとみずのみなとかぜのみなとゆめのみなとに種はこぼれる>は、やすたけまりさんの歌集『ミドリツキノワ』にある一首だ▼わが家の猫の額のような花壇で今、目を楽しませてくれている野の草は、マツバウンランにニワゼキショウ。どこかから種がこぼれ、あまりの花の可憐(かれん)さに抜くことをためらううちに、庭の一員となった雑草だ▼マツバウンランの小さくはかなげな青紫の花。ニワゼキショウの淡い桃色の花びら。楚々(そそ)とした「和の美」を感じさせるような花々だが、実は、いずれも北米原産。植物界の「移民」である▼日本列島には、およそ七千種の植物が生育しているが、外来種は千二百にも上るという。労作『日本帰化植物写真図鑑』の編著者の一人・植村修二さんは「都市部でかわいらしいと思う花は、まず外来種です」と指摘する▼在来種が生きていた里山や野原は切り開かれて、都市化された。荒れて乾いた土地ばかりの都会で生きていけるのは、乾燥に強いマツバウンランなど外来種。「外来種はダメというイメージがあるが、都市で緑の豊かさを求めるのなら、外来種の存在は不可欠なのです」と植村さんは言う。都市生活の小さなパートナーなのだ▼やすたけまりさんには、こんな歌もある。<なつかしい野原はみんなとおくから来たものたちでできていました>。きょうは、みどりの日だ。