無人島に一冊だけ本を持って行くなら、どんな本か。作家の片岡義男さんは『広辞苑』を選ぶという。しかも一九五五年発行の第一版を携えて、南の島に行きたいそうだ▼一九五五年は、まさに高度経済成長が始まった年。そんな年に生まれた辞書を無人島に持っていく理由を、片岡さんは『無人島セレクション』で、こう説明している▼<まったく新しい地平へと突進していく日本は、それまではどこにもなかった無数の異物を生み出し…果ては日本語をその根幹から浸食していくはずだ、と広辞苑初版の編者たちは正しく予測したのではなかったか>。そういう浸食が始まる前の日本語を集めた辞書こそは、無人島で読むのにふさわしかろうと▼「手つかずの自然が残る、世界屈指のサンゴ礁の島」として世界自然遺産に選ばれた南太平洋の英領ヘンダーソン島は、それにぴったりの島に思えるが、そこに着いてまず広辞苑で引く言葉は、「海」でも「孤独」でもなく「プラスチック」になるだろう▼英国の科学者らの調査で、厳島(いつくしま)より一回り大きなこの島が、三千七百万個ものプラスチックごみで覆われていることが分かった。白い砂浜は漂着するごみであふれ、由来が分かるものを調べたところ、日本製や中国製が多かったという▼大量生産大量消費に踊る国々が生む「無数の異物」が、絶海の孤島をも浸食しているのだ。