「東海道中膝栗毛」の十返舎一九の辞世は<此世(このよ)をばどりやおいとまに線香の煙とともに灰左様なら>。線香の灰とのシャレでハイ、サヨウナラ。さっぱりしたものである▼名将は最期になんとおっしゃったか。勝負にかけた熱とこだわり。野球ファンなら、あっさりの「灰左様なら」ではなく、最期まであの言葉を口にしたと想像をするだろう。「あれはファウルだ」▼阪急ブレーブスを三年連続日本一に導いた名監督、上田利治さんが亡くなった。八十歳。ファウルとはもちろん、一九七八年、日本シリーズ第七戦である。ヤクルト大杉選手の左翼ポール際の本塁打に上田監督は「ファウルだ」と強く抗議。中断は、一時間十九分に及んだ。前代未聞である▼判定が覆るはずもない。あの時はなんとあきらめの悪いお人かと思ったが、そのあきらめの悪さと意地が懐かしい。うわっつらの物分かりの良さと、不興を買わぬことに汲汲(きゅうきゅう)とするご時世にあってはなおさらかもしれない▼不思議なことに関大でバッテリーを組んだ名投手、村山実さん(阪神)にも「ファウルだ」の場面がある。五九年の天覧試合。長嶋さんに打たれた左翼ポール際のサヨナラ本塁打をずっとファウルと疑っていた▼上空から左翼ポールを並んでながめるお二人を空想する。確認して、顔を見合わせこうおっしゃっているか。「やっぱり、ファウルだ」