ソ連でスターリンへの個人崇拝が盛んだったころ、人々は彼を称賛するプラカードを手に集会に参加した。ある老人が書いたのは、こんなひと言。「同志スターリンに感謝! あなたのおかげで我々の子どものころは、とても幸せでした」▼それを見た共産党の役員がとがめた。「おい、あんたが子どものころは、同志スターリンはまだ生まれてもいなかったじゃないか」。老人はにやりと笑い、「まったく、その通りで」▼個人崇拝を皮肉った古い政治小噺(こばなし)を思い出させるのが、今の中国だ。五年に一度の中国共産党大会では、毛沢東、〓小平の指導理念と並び、「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」との看板が掲げられた▼とはいえ、「政権は銃口から生まれる」と革命戦争を闘った毛氏や、「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕るのが良い猫だ」と改革・開放を進めた〓氏と肩を並べるほどの理念とはいかなるものか、「習思想」とは…と現地からの報道を読んでも、さっぱり分からぬ。要するに、理念なき「強国」路線を個人崇拝の看板で飾ったものらしい▼冷戦時代、社会主義国では、皮肉たっぷりの、こんな言葉も生まれた。<資本主義は腐っている! だが、何といい匂いがするのだろう>▼「習近平の新時代の社会主義」から漂うのは、どんな匂いか。個人崇拝のかび臭さか、「強国」のきな臭さか。