その男の子は学校へ行く時、いつも二つのランドセルを持っていったそうだ。おかしな話に聞こえるだろう▼男の子が運んでいたのは一つは自分のもの。もう一つは体が弱かった妹さんの分。子どもには重い上に、妹の赤いランドセルを友人に見られるのがちょっと恥ずかしい。それでも、その男の子は二つのランドセルで学校へ通った▼その男の子はやがて日本を代表する、作詞家になった。松本隆さん(68)。紫綬褒章の受章が決まった。二つのランドセルの思い出が表現者としての出発点になった。何年か前のコンサートでそうおっしゃっていた▼だれかを想う。手を差しのべる。そういうことなのだろう。「赤いスイートピー」「木綿のハンカチーフ」。松本さんの詞の世界はじれったい恋や別れを描いても、どこか温かい。二つの重いランドセルを握りしめ、ちょっと熱くなった手からその温かさは伝わるのか▼別の、兄と妹のことを書く筆が重い。この兄も妹を心から大切に想っていたにちがいないのである。神奈川県座間市での事件。自殺願望からネット社会の闇の中で、「迷子」になった妹を兄は捜し続けていた▼兄が発見した妹のネット履歴が容疑者にたどりつくカギとなったが、あまりに痛ましい結末である。差しのべても届かなかった兄の無念の手。その痛みを思う。<涙拭く木綿のハンカチーフください>