日本で最も古い校歌とされるのは東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)のもので一八七八(明治十一)年にできたそうだ。これが第一号とすれば日本の校歌の歴史は百四十年である▼渡辺裕さんの『歌う国民』(中公新書)によると小学校を中心に校歌制定の動きが盛んになったのは明治三十年前後。その後、大正期から昭和初期にかけて一種の「校歌ブーム」が起き、現在のような一校一曲の校歌があたりまえになっていったと聞く▼欧米の学校にも学生歌や愛唱歌はあるが、学校当局が校歌を公的に制定することはあまりないようで、日本には独特の校歌文化が根付いたか。忘れてしまったようで歌いだせばスラスラ思い出せる。そんな経験のある人もいるだろう。地域の風景を描写する校歌は大切なふるさとのうたである▼少子化、過疎化で学校の数は減少の一途である。つまり校歌もなくなる。また大切な一曲との別れである。東日本大震災の津波で児童と教職員八十四人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校。昨日、閉校式が行われた▼<風かおる 北上川の 青い空 ふるさとの空>。震災後、児童が減り、閉校を決めた。かつての入学式や運動会。大きな声で歌われた校歌を想像する。あの悲劇後、涙で声がかすれた校歌もあっただろう▼<胸をはれ 大川小学生><くちびるに 歌ひびかせて>。歌は消えぬ。