二十一歳のとき、自分でもいらだたしいほど動きが鈍く、ぎこちなくなった。階段から落ちて病院に行ったが、医者にこう言われた。「ビールを飲み過ぎないことだ」▼そうではなかった。亡くなった宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士の発病当時である。体の自由を奪われる筋萎縮性側索硬化症だった▼診断になぜ自分がこんな目に遭うのか、ひどい不公平だと感じたそうだ。当然である。研究を続けても長くは生きられない。そう思うと集中もできなかったそうだ▼考えが変わった。入院中、向かいのベッドにいた白血病の少年が亡くなる。世の中には自分より気の毒な人がいる。死刑判決を受けても執行されるまではやるべきことはいくらでもある。「どのみち、死ぬさだめならば、多少は善いことをしたい」。そこから生まれて初めてというほど研究に打ち込んだそうだ▼障がい者にこうエールを送り続けた。「自分の欠陥に邪魔されない仕事に打ち込めばいい。できないことを悔やむには及ばない」▼子どもの時、学校では、真ん中より上の成績をとったことがない。むらっ気で学習態度も悪い。少年の将来をめぐって、仲間たちはキャンディーで賭けをした。「どうせあいつはろくなものにならない」。大量のキャンディーをせしめたことだろう。独創的な宇宙論と苦難にどう生きるかを教えた功績によって。