元号を改める理由の一つに、「災異(さいい)改元」があった。現行の「一世一元制」になる明治の前には百回以上あった。災害や戦乱、疫病の流行などを機に改められ、そのうち七回ははしかの流行が理由だったという(石弘之著『感染症の世界史』)。それほど厄介な病気だった▼子供の時に、注射を我慢して以来、あるいは熱を出して、寝込んで以来、はしかとは縁を絶ったと思っている人も多いのではないか。過去の病気であると。ところが、沖縄県で大人を含む七十人を超える感染者が出て、さらに増えている。愛知県でも、二けたに達した▼ワクチンの普及で、日本は三年前、はしかが排除されたと、世界保健機関から認定されているが、今回は外国からだという。二回打つ予防接種を一回しか打っていない人もいて、感染を完全に封じるのは、難しいようだ▼江戸時代には、「生類憐(あわれ)みの令」の将軍、徳川綱吉がはしかで死亡している。江戸だけで一度に二十万人以上が亡くなる大流行もあった。免疫が乏しい社会では、もともと死を招く怖い病だ▼物理学者の寺田寅彦の言葉をここでも思い出す。<ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい>▼はしかが「若気の至り」や通過儀礼の例えになる現代でも昔の怖さをもう少し思い出したほうがいいのではないか。