草木のない山や魚のいない水のようなものか。欠ければ精彩も消え、全体が別物に思えるものがある。一九四九年、法隆寺が火事に見舞われた際、焼損した金堂の壁画を東京で保存するという国の方針が聞こえてきた▼「持っていかれると法隆寺は法隆寺でなくなる」「魂を抜かれるようなものだ」。不安の声が上がった。「最後の宮大工」といわれた西岡常一さんが、立ち上がって当局に抗議する▼ひと騒動だ。<どうしても強行するなら、今いる五十人の大工が集まって、運び出すのを止める、とまでいった>(『宮大工棟梁(とうりょう)・西岡常一「口伝」の重み』)。結局、収蔵庫が作られ壁画は残った▼米国のいない国際機関は、存在意義を保てるか。こちらはそんな疑問が浮上する騒動である。トランプ大統領の米国が国連人権理事会離脱を表明した。自国の主張が通らないのが理由のようだ▼多国間の人権を話し合う最も重要な機関が、財政面を含め打撃を受ける。米国自体も、受ける影響はあるだろう。建国以来、魂の一部というべき人権の看板だ。なのに、国際的な役割に背を向ける。米国は米国たり得るのであろうか▼自国の価値観を時に強引に世界に広めてきた。自由貿易、文化、環境問題。その役からも降りてきた。わが国と米国を強固に結んできた共通の価値観が、変質しているのではないかという大きな疑問も生じる。