新渡戸稲造は『武士道』でこう述べている。<戦闘におけるフェア・プレイ。この野蛮さと…原始的な感覚のうちに、なんと豊かな倫理の萌芽(ほうが)があることだろうか>▼野蛮な世界から生まれるから<フェア・プレイ>は尊い。そんな主張だろう。<英国を偉大にしているかなめの石>であるとし、武士道に通じると説いた▼サッカーワールドカップの日本代表「サムライ・ブルー」にとってフェアプレーは命綱だった。警告の少なさによるフェアプレーポイントでH組突破である。年代、男女を問わず日本代表の警告は少ない。持ち味は誇っていい▼圧倒されたのは西野監督の賭けだ。ポーランド戦終盤、負けているのに警告と失点を避け、攻めない。セネガルの負けを待った。恐れず戦うというサムライらしいイメージさえも、賭けのテーブルに置いた感がある。裏目に出れば損失も批判も莫大(ばくだい)だ。それでも別の試合に命運を委ねたことに驚かされ、うならされる▼「日本はフェアプレーに貢献せず」「試合が死んだ」。それまでたたえていた欧州紙にそうある。イメージはやはり多少なりとも傷ついた▼ただ賭けは、勝ちだ。<賭けとは全身全霊の行為であるが、百万円持つていた人間が、百万円を賭け切るときにしか、賭けの真価はあらわれない>(三島由紀夫)。道に反したという批判も背負っての次。また驚かしてくれるか。