ボクサー上がりという哲学者が古代ギリシャにいた。クレアンテスというストア学派の大家だ。もともと拳闘家で、立派な体格の人物と伝えられている。きわめて貧しく、昼間に哲学を学ぶかたわら、夜は庭園の水くみをして、生計を立てたそうだ▼頭の回転が速い人ではなかったが、労苦をいとわず、高潔な人柄ゆえに、学派の開祖である師ゼノンから指名されて、学派を率いている▼学派が重んじた厳しい克己心などから、「ストア学派の」を意味する「ストイック」は今や「禁欲的、自制的な」を意味する形容詞だ。わが国でも使われる言葉になった▼日本のアマチュアボクシング界が、揺れている。三百人以上の関係者が、日本ボクシング連盟の不正を告発した。主張によれば、助成金流用に加えて、連盟会長がひいきする選手を巡る判定の不正や会長への過剰な接待の要求もあったという。事実なら、ストイックとは対極の出来事が起きている▼互いに殴り合う競技である。競技場の外では使うことが許されない多くの技術を追求するという側面がある。ムハマド・アリはアマチュア時代、力量をリングの外で見せなかったと親しまれた▼禁欲や自制心、自己を律する力が、他のスポーツと比べようもないほど求められる。失われれば、競技全体の信用が揺らぐ。多くのストイックな人々の信頼がかかった問題ではないか。