大正のころだろう。国文学者の折口信夫は山中できこりに道を聞く。返ってきた言葉に驚いた。「苗圃(びょうほ)を迂回(うかい)して行きゃ…製板(せいはん)(製板小屋)が見えるがのし」。漢字をつなぎ合わせただけの造語、漢語そのままの言葉が短い返事に詰め込まれていたからだ▼いなかの人たちまで<ぎごちない、徒(いたず)らにひねくれた音覚を持つ語を喜んで使ひます>(『新しい国語教育の方角』)。明治期に外国語が大量に翻訳された。国語になじまない言葉が増えたと、折口は嘆き、背後に世間の<造語能力>の衰えをみた。さらに南満州鉄道を満鉄とするような実体の見当がつかない略語が多いと指摘した。すべて現代に通じる苦言にも思える▼日米首脳による関税交渉でTAGなる言葉が出てきた。物品貿易協定の英字略語で、造語だろう。締結に向け交渉するという▼すでに略称だらけなのに新手登場である。背後にあるのは両国の都合か。米国との自由貿易協定(FTA)を避けたい日本は別物と主張できる。米国は、名前はどうあれ、FTAとみているらしい▼食い違った解釈が可能な便利さだが、先々まで安泰なわけではないようだ。農産品や自動車関連でいずれ米国が強硬な主張に出る恐れが残る▼英単語ならtagは荷札か。そう思えば、付け替え可能を感じる響きが、実体に合うようにもみえる。なかなかの造語力なのかもしれない。