一九七〇、八〇年代に活躍した米大リーグ抑え投手の草分け的存在である、ローリー・フィンガーズがこんなことを語っている。「救援投手にとっていやなことは失敗すれば、先発投手の勝利を台無しにしてしまうことだ」。コールマン髭(ひげ)の強気な投球が懐かしいアスレチックスの大投手もそんなことを気にしていたか▼打たれて自分に負けがつくだけならがまんできる。が、自分のせいで、がっかりする同僚がいるのは耐えがたい。自分の失敗で他人の人生を狂わせることだってあるかもしれない。救援投手はそうした強い重圧の中でマウンドに立っている。そのせいだろうか、米野球界には薬物やアルコールで不幸な末路をたどった救援投手もいる▼その過酷な役割を担いながら千試合登板を達成したのである。今シーズン限りで引退する中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手。大偉業である▼記録を塗り替えるのは難しいだろう。年五十試合。それを二十年間続けてやっとその数字に届く。しかも耐えがたい重圧の中でである。連投できる体力、動じぬ心。その二つが同時になければ、千試合投手は生まれぬ▼「毎日、投げるのが怖かった」。インタビューでそう語っていた。長年、恐怖を抑え込んできたのか。ファンには感謝の言葉しかないだろう▼「画竜点睛」。竜の目を最後に描き入れ、飛翔(ひしょう)させた、鉄腕の花道を拍手で送る。