明治期の大関、朝汐太郎(初代)は若い時、しこ名を変えてはと親方から勧められた。「朝汐なんていう素人相撲にありそうな安っぽい名はやめろ」。朝汐は首を横に振ったそうだ。「自分が出世したら朝汐でも立派に聞こえましょう」▼金のしめこみ。締まった体。昭和の名横綱も同じ決意で本名の姓にこだわったか。そしてその名を歴史に刻んだ。第五十四代横綱の輪島大士さんが亡くなった。七十歳▼右を絞り、相手の体勢を高くしておいて、切れのある下手投げを打つ。往時の技を思い出す人もいるだろう。北の湖との「輪湖時代」を築いた。あのころの少年は輪島のダイナミックさと力士としての様子の良さに夢中になった▼一九七四年七月場所千秋楽。本割で北の湖に並び、優勝決定戦も制した。取組の前、トイレから見えた北の湖優勝を見越したパレード準備を見て奮起した▼早くから天才の呼び声が高かったが「自分はちがう」と思っていた。「本当の天才は北の湖さん」。そう考えることで闘志をかき立てたのだろう▼青梅街道を西へ。杉並区役所を過ぎて右に折れる。かつて花籠部屋がここにあった。七二年の初優勝。このあたりをパレードして気分がよかったそうだ。歩いてみる。輪島が手を振る。同じ「阿佐ケ谷勢」の貴ノ花がいる。魁傑がいる。歓声と拍手…。今は、街道からの車の音しか聞こえない。