どんな花も、咲くためには時を待たなければならない。女優の赤木春恵さんの場合、駆け出しのころから、自分こそは、遅咲きなのだとかたく信じていたという。<四十歳か五十歳になったときに、満開の花を咲かせれば>(著書『わたしの遅咲き人生』)。自分に言い聞かせてきたそうだ▼実力は認められていたのに、オーディションでは最後に落ち続けた。運がない、絶世の美女でもない。そう悟って小さな役も汚れ役も引き受けるようになった。二十歳の頃、四十歳も年上の役を演じている。男装も経験した▼大正生まれ。劇団で、旧満州を回っているときに、終戦を迎えた。ソ連兵におびえる日々を送り、大病を患った。引き揚げ前、生活のためにとダンサーをしたこともある。戦争では兄二人を失った▼味わった苦労は、芸にとっての栄養になったことだろう。五十歳の手前で、ついに名が売れ始めた。開くのは遅いが、味のある花は、言葉の通りに咲く▼テレビドラマ『3年B組金八先生』『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』。女性の校長やしゅうとめの像を次々つくっていく。八十八歳にして映画主演も果たしている▼遅咲き。脇役。役者でなくてもありがたみに乏しい言葉に、この人ならではの精彩を与えた生涯ではなかったか。九十四歳で亡くなった。主人公ではないのに、あの役やこの役がきれいによみがえる。