「君たちには無限の可能性がある」-。成人の日である。新成人に日本中でこの言葉がかけられているかもしれない▼門出を祝う日に水を差すつもりは毛頭ないが、脚本家の山田太一さんはこの「無限の可能性がある」が苦手だそうだ。「大人が若者を無責任に励ましているようで本当にいやな言葉だと思います」とまでおっしゃる▼第一にリアリティーがないという。人生はままならぬ。だれもが無限の可能性を生かして成功を収められるわけではない。能力も同じでもない。運もある。その言葉は失敗した人に向かって無限の可能性があったのに「その分の努力が足りなかった」と言うのと同じではないかとおっしゃる▼新成人を励まそうとその言葉を使っているのだろうが、なるほど「無限の可能性」と言ったところで最近の現実的な若い人が信じてくれるかどうか。かといって「無限の可能性はない」と通告するのもしのびない▼何か別の門出の言葉をと探せば心理学者の河合隼雄さんが「大人であるための条件」をお書きになっていた。「単純に他人を非難せず、生じてきたすべての事象をわがこととして引き受ける力をもつこと」だそうだ▼人の身になって考えるということだろう。思いやりや共感にもつながろうか。新成人に限らず、本物の大人が増えれば、ままならぬ世の中にも無限の可能性をつい期待したくなる。

 
 

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