スーパーに鬼の面が置いてあった。きょうは節分である。鬼やらいの豆を買えば、一枚いただけるらしい。手に取ってみると、この鬼の面がまったく鬼に見えぬ。なるほど、顔は赤く角もあるのだが、怖くはない。それどころか、むしろ、かわいらしい▼昔もこの手のお面はさほど怖くなかったが、まだ鬼の不気味さは残っていた気もする。最近の「ゆるキャラ」まがいの顔を見れば、もはや退治すべき憎い鬼とはおよそ思えぬ▼節分とはいえ、あまり子どもを怖がらせてはという配慮もあるのだろう。そういえば、最近の幼稚園の豆まき行事では子どもを怖がらせないため、大人が扮(ふん)した鬼は登場させず、人形などで鬼を演じるところもあるらしい▼国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に選ばれた伝統のナマハゲに対しても子どもをおびえさせるのはいかがなものかとの意見があると聞いた。節分の鬼とは違うが、そういう時代なのだろう▼美術家の篠田桃紅さんが節分の鬼についてこんなことを書いていた。鬼とは冬の間に自分の心に棲(す)みつきそうになった化身であり、それを季節が変わる前の日に鬼やらいで追い払う▼無論必要以上に子どもを怖がらせることはないが、鬼が人の心の中に棲みつく悪心邪心なら、鬼の顔は怖い方が追い払うべき存在として教えやすいかもしれぬと思わぬでもない。鬼は内にあり。