作家の山口瞳さんが二十歳の若者に向けこんなことを書いていた。「君達は大金持だ!」。はて、懐の寒さは若者の常。それなのに「君達は実にリッチなのだ」とはどういうわけか▼山口さんが言っているのは時間のことである。七十歳まで生きるとして持ち時間は五十年間。「ああ、何という豊饒(ほうじょう)の歳月であることか」▼この人も若者の豊饒な時間がまぶしく見えたのではないだろうか。自分の「持ち時間」。それを絶えず意識し、十数年の短い期間にもかかわらず、数多くの味わいある作品を残してくれた、時代小説の名手が亡くなった。『散り椿』などの葉室麟(はむろりん)さん。六十六歳。絶句したファンが大勢いるだろう▼五十代と作家としてのデビューはやや遅いか。時間について、こんなことを書いている。「中年以降に小説を書く仕事についた人間には時間に対する特別な思いがある。作品を書くため自分に許されている時間はいったいどれくらい残されているのだろう」(『柚子は九年で』)▼読み返すと胸が痛い早すぎる死である。もっと書きたかったにちがいない。遅咲きの花は持ち時間のぎりぎりまで咲き続けようとした▼直木賞作品の『蜩(ひぐらし)ノ記』も限られた時間の物語だった。十年後には切腹する運命でありながら家譜編さんに取り組む悲運の藩士、戸田秋谷(しゅうこく)と葉室さんが重なる。真冬なのに蜩の鳴く声が聞こえる。