ジェームズ・ジョイスが二十世紀を代表する小説『ユリシーズ』を書き上げるまでには七年かかっている。休み休み書いたわけではない。毎日、毎日、机に向かった上での七年である▼こんな逸話がある。友人が落ち込んでいるジョイスにこう尋ねる。「きょうは何語書いたのか」。ジョイスは「七語」と答えて、こう続けたそうだ。「でも、その七語をどういう順に並べたらいいかを決めかねている」▼ゆっくりゆっくり一語ずつ、一歩ずつ。この力士も歩みは遅くとも、地道な精進を積み重ねてその花を咲かせたか。関脇栃ノ心(30)。夏場所での文句なしの成績によって事実上の大関昇進を決めた。母国ジョージアにも喜びの花が咲く▼新入幕から六十場所かかっての大関昇進は二代増位山に並ぶ歴代一位の遅さという。定年迫る会社員は出世とは縁遠き小欄を含め、わがことのようにうれしくなるだろう▼大けが、幕下転落。昇進の遅さとは実力のなさではない。長くかかった分、誰よりも苦労や困難と立ち合い、投げ飛ばしてきたということに違いない。その心強き力士のさらなる飛躍を見たい▼ジョイスの七語をどう並べるかの話から、おもしろいことを思いついた。<トチノシン>でアナグラム(文字の並べ替え)をつくれば<チトシンノ>や<ノチノシン>。「血と辛(抱)の」人が、苦労の「後の(昇)進」である。