落語の「付き馬」の中に浅草寺の境内で鳩の餌を売るおばあさんが出てくる。おばあさんを久しぶりに見かけた男が、こんなことを言う。「あそこにおばあさんがいるでしょう。あのおばあさん、あたしが子どもの時から、あのまんま、あのおばあさんなんだよ」▼こういう錯覚はどなたにもあるだろう。子どもの時から見知る人の中にはどういうわけか、あまり変わらず、年さえ取らない気がする人がいる▼長い間、テレビでお見かけしていた、その落語の師匠にもそんな感じがしていたが、もう会えないのが寂しい。テレビ番組の「笑点」でおなじみだった落語家で落語芸術協会会長の桂歌丸さんが亡くなった。八十一歳▼「笑点」で歌丸さんを認識したのは小学校の低学年だったので、当時の歌丸さんは三十代か。当時からの落ち着いた風貌のせいだろう。その小学生が定年まで片手となる今日まで、あのころと変わらぬ歌丸さんがいらっしゃった▼「笑点」の前身の「金曜夜席」のメンバーにはオーディションで選ばれた。噺家(はなしか)が集められて裏芸を見せろという。歌も踊りもだめな歌丸さんは意を決し、舞台で黙々とおそばを食べた。食べ終え、一言。「おソバつさま」。受けた▼「笑点」や歌丸さんが落語の魅力を知る、とば口となったという人も大勢いらっしゃるだろう。「お粗末さま」ではない高座にハネ太鼓が鳴る。