シーン1 一九五五年、山手線車内(真夏) 男がつり革につかまり、前の席で居眠りをする女を見つめている。電車が揺れ女が目を覚ます。女「(立ち上がり、つり革の男とぶつかり)どうも、失礼」 男「いいえ(なおも女から目を離さない)」 女「あの、なにか」 つり革の男「いや」▼シーン2 巣鴨駅(夕景) 電車が着き、人の群れが出てくる。女が改札を出る。改札口につり革の男が現れる。女をじっと見守る。男「五十三人目か」▼サスペンス調のシナリオ風だが、実話を元に少し脚色した。男がやっていたのはシナリオ修業の一つである。山手線で一人の人物を見つめ続ける。一緒に降りて、改札口まで行き、見送る。その間に顔の特徴、体つきに加えて、生活背景や怒る時、泣く時まで想像して脳裏に焼き付ける。約一年間続けた▼人間を理解し繊細に描いた名脚本家が亡くなった。橋本忍さん。百歳。「羅生門」「七人の侍」「砂の器」。作品名を並べるだけで映画ファンはため息が出るだろう。社会性と娯楽性を両立させた構成力。悪人の中の善を善人の中の悪を描ける方だった▼山手線方式は「七人の」で脚本を共同で書いた黒澤明監督の人物描写力を超えるため考えた。努力の人である▼最終シーン 二〇一八年、山手線車内(真夏) なぜか風がサッと通りすぎ、つり革が揺れる。(フェードアウト)