顔を売る映画女優なら、自分の顔を大写しにしてもらいたいものである。大物女優二人が共演すればアップの場面の数を意地をかけて競い合う。よく聞く話である▼その女優はアップを求めなかったそうだ。亡くなった樹木希林さんである。タッグを組んだ是枝裕和監督が書いている。呼び出されて出向くと樹木さんが脚本を広げている。「監督、分かっているとは思うけど、みんな背中で芝居できる役者が集まっているんだから、顔のアップ撮ったりしなくていいからね」-▼作品全体のバランスやトーン。自分で考え演じる。そのためならアップなんて。そういう役者だったのだろう▼かつて向田邦子さんの遅筆に腹を立てて、筋だけ書いてよ、後はこっちでなんとかすると言って、大げんかになったと聞くが、役者としての絶対的な自信。実際、その背中や歩き方は脚本に書かれていること以上のことを語っていた▼晩年の樹木さんに、たとえば亡くなった母親の面影を重ねるという人もいたのではないか。樹木さん演じる母親は優しいだけの母親ではない。ちょっとずるかったり、無神経だったり、それでいて寂しさをこらえていたり。ようするに普通の母親である▼人の善もいやな部分も喜びも悲しみも、そっくり引き受けた樹木さんの芝居に現実の母親の像を結び付けやすかった。その分、お別れが寂しくてたまらない。