歌人の馬場あき子さん(90)が終戦の一九四五年の大みそかの夜に何を食べたか思い出せないと書いていらっしゃった。カボチャは食べたはずだ。常食だったすいとんも食べたであろう。想像はできても具体的に思い出せない▼年の近い友人にも聞いてみたが、誰一人としてあの年の大みそかに何を食べたか覚えていなかったそうだ。「それほどまでに戦後直後の食糧事情は厳しかったということか」。抜け落ちた記憶の理由をそんなふうに考えていらっしゃる▼二〇一八年の大みそかの夜に何を食べるかはさほど問題にはなるまい。終戦直後に比べれば、食べる物は豊かという表現を超えぜいたくにもなっているだろう。だとすれば、昨今の大みそかの気掛かりは「何を食べるか」よりも「誰と食べるか」ということかもしれぬ▼少子高齢化、晩婚化によって単独世帯は増え続け、既に全体の三割を超える。好むと好まざるとにかかわらず、大みそかも一人で食べるという家だろう▼「サザエさん」の大家族は遠い昔。夫婦に子ども二人の「クレヨンしんちゃん」の四人家族さえ単独世帯の数を下回る。ちゃぶ台から一人欠け、二人欠けの大みそかの寂しい移ろいを想像する▼<テレビ消しひとりだった大みそか>。俳優の渥美清さんの句。カボチャでもにぎやか。食に不自由はなけれど、おひとりさま。ほどよき大みそかが恋しい。

 
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】