「明治ハイカラ」「大正モダン」「昭和元禄」。元号にもニックネームがある。無論、その時代のある断面を示しているにすぎず、例えば「昭和元禄」には戦時中の貧しさはなく、戦後の高度成長期の活気や生活を享受する空気を皮肉まじりにそう呼んだのだろう▼二〇一八(平成三十)年の大みそかである。平成最後の大みそか。そう思えば元号改定はまだ先ながら、この日が平成という時代そのものの大つごもりのように思えるという人もいるだろう。そう考えれば、ひときわ寂しい年の暮れである▼平成にどんな愛称が似合うかを考えてみる。とんと浮かばぬ。それも複雑な平成ゆえか。思い付いたのが「平成バブル」とはあまりにも陳腐だが、はじけて消える泡やしゃぼん玉のイメージが頭から離れぬ▼バブル経済崩壊に限らぬ。ハイカラ、モダン、元禄。それらが西欧化や経済成長、物質的豊かさという明治以降の日本が大きくしようとしたしゃぼん玉の軌跡だったとすれば、平成にそれはおそらくしぼんだ。迷走した▼高い経済成長は見込めぬ。高齢化、人口減。戦争はなく明日のコメにも困らぬ。それでも消えぬ先行きの不安はしゃぼん玉がしぼんだ後、次の道が見えぬという心細さのせいかもしれぬ。平成はそういう決して明るくない分岐点に立っていた気がする▼さらば平成三十年。なんだかおまえがいたわしい。